松平慶永(春嶽)墓

更新日:令和6年12月3日

松平慶永(春嶽)墓

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種別  史跡  
指定番号  第九号
所在地  南品川5-16 海晏寺後丘
指定年月日  昭和53年11月22日
見学  不可
詳細  松平慶永は、文政十一年(一八二八)、田安斉匡の子として生まれた。天保九年(一八三八)に福井藩十五代藩主となる。「春嶽」は号名である。
 将軍継嗣問題で一橋慶喜を擁して大老井伊直弼と対立、一時隠居に追い込まれるが、桜田門外の変の後、政治に復帰して幕政改革に着手、参勤交代の緩和などに尽力した。公武合体をめざし、朝廷と幕府の間の調停に努めた。
 明治政府成立後は、民部卿、大蔵卿などの役職を歴任した後、明治三年(一八七〇)公職を退き、悠悠自適の生活をおくり、明治二十三年(一八九〇)六月三日、六十三歳で没した。
 明治維新の折の功労により、明治二十年九月、勲二等に叙せられ、没後、従一位勲一等を追贈された。
 墳墓は円墳(神式・土まんじゅう型)で、高さ四〇・〇、径一五〇・〇センチメートル。墳墓の前に角柱型の墓碑があり、正面に「従一位勲一等松平公之墓」と刻まれている。品川の海をこよなく愛し、没後は品川の海を見下ろす地、南品川海晏寺の後丘を墓地に選定していたので、この地に葬られた。
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