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由利公正墓
更新日:令和6年12月3日
由利公正墓 | |
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種別 | 史跡 |
指定番号 | 第十号 |
所在地 | 南品川5-16 海晏寺後丘 |
指定年月日 | 昭和53年11月22日 |
見学 | 不可 |
詳細 | 由利公正は、文政十二年(一八二九)越前国(現福井県)福井藩士三岡義和の子として生まれた。弘化四年(一八四七)横井小楠に学ぶなどして次第に頭角をあらわし、藩札の発行と専売制を結合した殖産興業政策で、幕末の福井藩財政を再興した。嘉永六年(一八五三)に家督を継ぎ、翌安政元年(一八五四)には、黒船来航により急務とされていた品川台場築造に従事した。また藩内兵制改革には、橋本佐内と共に活躍している。 明治元年(一八六八)、参与に任じられ、五ヵ条の誓文の原案を起草する一方、会計基立金募集や、太政官札発行に関与し、新政府財政の基礎をつくった。明治四年(一八七一)に東京府知事に就任、首都となった東京の整備に実績を上げている。後、元老院議官、貴族院議員となった。明治四十二年(一九〇九)四月二十八日、八十一歳で没している。 墓碑は、石造隅丸角型で、高さ九五・〇、幅九六・〇、奥行き四八・〇センチメートル。台石は、高さ八四・〇、幅二ー三・〇、奥行きー二〇・〇センチメートル。大型でどっしりとした造りである。 銘文等は、「従二位 勲一等 子爵正眼院殿圓通雲軒大居士」「文政十五年十年十月十一日生 明治十二年四月廿八日没」と刻まれている。 |
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