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中延小学校で学童集団疎開の体験談授業

更新日:2014年12月1日

学童集団疎開の体験を語る石田さん
平和学習の様子真剣な眼差しで聞き入る児童たちしっかりとした口調で語る石田さん給食を一緒に食べながら話をする石田さん給食を食べながら体験談を話す学童集団疎開の貴重な写真
区立中延小学校(中延1-11-15)で12月1日(月)、5年生を対象に戦時中に学童集団疎開を経験した方から当時の話を聞く授業が行われました。

今年は、中延小学校の創立80周年にあたるとともに、集団疎開から70周年目の節目の年になることから、この平和学習が企画されました。

中延小学校の当時の名称は、中延国民学校。第二次世界大戦で本土空襲の恐れが明確になり、戦禍から児童の命を守るために、中延国民学校では富山県への集団疎開が行われました。当時の資料によると、集団疎開は2回にわたって行われ、1回目は昭和19年8月27日に308人、2回目は昭和20年4月13日に105人が富山県に疎開しました。

児童たちに集団疎開の経験談を語った方は、石田智江(80歳)さん。丁度、中延国民学校4年生の時に家族と離れて富山県滑川町(現・滑川市)に疎開されました。合わせて、授業に同席したのは、石田さんと一緒に富山県へ疎開した同級生の相原敦子(80歳)さんと、当時5年生の谷中祐二(81歳)さんと土井正光(81歳)さんです。

石田さんは自己紹介から始まり、物心ついた頃は、日本は中国と戦争をしていたという当時の世の中の様子や、国策で学童集団疎開が始まったことを、小学生にも理解できるようにゆっくりとしっかりとした口調で話されました。自分の経験として、昭和19年8月27日に突然、夜行列車で富山へ疎開したこと。その後の疎開先のお寺での生活や学校での授業のこと。そして、辛かったことは、空腹といじめで、「親に甘えずに、自分の事は自分でやる1年余りの辛い生活を頑張ったので、たいていの事は耐えられる自信のようなものを得られた」と、当時を思い出しながら語りました。

最後に学童疎開の根本原因は戦争で、戦争は人を殺すこと、戦争とは人間が人間でなくなること、戦争は絶対にしてはいけないことを、強く語りかけました。そして「皆さんはよく学び、自分の頭で考え、判断、行動できる人になってください」とまとめました。

授業のあとは給食です。4人も児童と一緒に給食を食べながら、授業では話しきれなかったことなどを話していました。

授業を受けた男子児童は「戦争は悲惨なもので、平和は大事だと思いました」と、また女子児童は「戦争は大人だけでなく、子どもにまで苦しかったことが分かりました。戦争は絶対にやってはいけないことだと思いました」と感想を話してくれました。