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荏原第六中学校で社会科授業「戦争体験を聞く会」

更新日:2015年7月17日

講師の話を聞く生徒
講師の皆さん戦争体験を語る講師資料を手にして戦争体験を語る講師講師の話を真剣に聞き入る生徒女性の立場で戦争体験を語る講師資料を見ながら講師の話を聞く生徒
区立荏原第六中学校(小山5-20-19)で、7月16日(木)、9年生(97人)の社会科の授業で「戦争体験を聞く会」が行われました。

同校ではこれまでも毎年1学期末に、9年生の社会科の授業で、品川朗読サークル「あやの会」の皆さんによる「ホタル帰る」の朗読を通じて、戦争の悲惨さや平和の尊さを学んできました。今年は、終戦後70周年という節目の年です。例年の朗読に加え、戦争を体験した方々から直接「戦争体験を聞く会」を開催しました。

最初に、佐藤勝校長は「戦争体験談を聞くことにより、“戦争はしてはいけないこと”“平和が大切であること”を学んでください」そして、「中学生として、今日の話を後世の人たちに伝えていく役割を担ってください」と挨拶しました。

講師を務めたのは、終戦の年の3月まで、東京都伊藤国民学校(現:区立伊藤小学校)で同級生だった、堀江勲さん、久保正宏さん、佐藤佳子(けいこ)さん、田出浩二(たいで こうじ)さん、渡辺紀子(きこ)さんの5人で、今は82歳です。これまでも区内の5つの小学校で戦争体験を語ってきましたが、高齢のため今では母校だけで、中学校での授業は初めてとなりました。

「戦争体験を聞く会」のメインテーマは「子どもたちが経験した国家総力戦」です。「兵隊養成機関となった学校」「モノ不足/食糧難」「今生の別れ“学童疎開”」「空襲の夜なにが起きたか」。4つのテーマに分けて講義が行われました。

講師の皆さんは、第二次世界大戦(太平洋戦争)当時、小学3年生から中学1年生でした。「学校では、戦場で死ぬことを当然の運命と考える異常な子どもに育てられた」「戦争は非人道的な大量殺人であり、残酷なことと知ったのは、後々になってから」と生徒たちに訴えました。

講師の皆さんが学童疎開を体験したのは6年生になってからで、お寺での寝泊り生活に「最初は遠足気分だった。でもだんだん厳しくなった」。親元を離れての生活に「低学年の子どもたちは、寂しさや、空腹からか、夜になると寝床で泣く様子が見られた」といった教科書にはない生活ぶりが紹介されました。「それでも、疎開先の人々に優しく親切にしてもらったことが、今でも印象に残っている」と感謝の気持ちが話されました。

また、昭和20年(1945年)5月24日の、品川・荏原地区の大空襲を自ら体験した方からは、焼夷(しょうい)弾爆撃による地獄の様子、それによる肉親の死、火葬の様子など、辛い、苦しい、本来思い出したくない話も語られました。「伝えなければ記憶が途絶えることになります。使命感を持って話しました」。

戦争を体験した方々からの真に迫った語りに、生徒たちは真剣な表情で聞き入っていました。授業終了後、「今、六中の周りは綺麗な町並みになっているが、70年前には戦争で焼け野原になっていたなんて思いもよらなかった。これから先の時代に同じようになることがあるかもしれない。それは絶対に阻止しなければいけないと思いました」「今日の話を聞いて、戦争という辛い事実を次の世代に伝えるだけでなく、戦争のない社会にしなければならないと思いました」等の感想が聞かれました。

講師を務めた5人は、「国家総力戦の名の下に、当時の同世代の子どもたちがどういう苦難を強いられたのかを知ってもらい、戦争の本質を理解してもらおうと思いました。私たちはもう高齢です。戦争体験を語るのも(母校以外では)今日を区切りとして、最後にしたいと思います。二度と悲劇を繰り返してはいけません。直接戦争を体験したことのない皆さんに、私たちの体験から何かを感じていただきたいと思います」と語っていました。